お世話係、はじめての絵画鑑賞
どうも、モナカのお世話係です。
美術に興味があまり無く疎いお世話係ですが、さすがにこの展示は気になったので行ってきました。
7月に落語を見に行った時、入場時に貰うパンフレットの中にも入っていたので存在は知っておりましたが、一人で行くのもなぁ。。。と思っていたところに、母親から「ゴッホ行かない?」とメールが。
さすが母娘。なんとなく、人生で1度は名画というものを見ておいた方がいいんではないかという理由付けも全く一緒でした(笑)
平日なのにすでに当日券売り場から並んでいました。想定外。圧倒的にお年寄りが多かったのも想定外。これは週末はもっと混雑するのでしょうね。
出川イングシッシュで知った、「ゴッホ」とは日本人しか呼ばない発音だという事実。
海外では「ファン・ゴー」だそうですよ!と、母親にもこの事実を伝えましたが「へぇ。」で終了(笑)
今回の展示は、ゴッホが影響を受けて描いたと思われる絵画と、その元になった浮世絵と両方を展示してありました。
意外にも、東海道五十三次など有名な浮世絵のいくつかの所蔵主がニトリだったりして、そんなところで道民は驚きました。
Σ(゚口゚; もはや日本を代表する企業になってしまったのですね…!
油絵を間近で見たことが無かったので、あんなに力強く光彩があって立体的に表現できるものだと知りませんでした。
ゴッホが37歳で死去するまで実際には10年くらいしか絵を描いておらず、そんな中、マイブーム日本!!となったのは、貴重というか、日本人として有難いというか。
※あくまで私の個人的解釈です……って明記しておかないとね。
実際にはゴッホは日本を訪れたことがないのに、やたら日本や浮世絵師に対し相当憧れていた様子は、私にもゴッホ展で理解できました。
他には、ゴッホ没後、彼の絵に憧れてわざわざ彼の作品や足跡をたどりに現地へ訪れた日本人がいたという歴史的物証も展示してありましたよ。
当時、筆文字じゃないですか。
当時の日本人は達筆かと思いきや、残された名簿には筆に慣れてない現代人が書いたの?と思うくらい丸文字の名前もあって面白かったです。
母も、「中川さん……。」と残念そうに口に出しててウケました。
まさか署名しただけの中川氏、120年後、うちのオカンに残念認定されるとは……(笑)
しかし若くしてこの世を去るのは勿体ないですね。
どの世も、絵画でも小説でも、ひたすらに追い求める芸術家はいずれ自らを破綻させてしまうものなのでしょうかねぇ。。。
私は凡人なので解かりませんが。
逆に凡人で良かったと思ったりして。
まさか日本に憧れたゴッホ氏、120年後、そのニッポンで自分の絵をモチーフにしたお菓子や手ぬぐいや、ましてや靴下まで売られているとは……。アメージング。
なんて話を母としながら美術館をあとにしました。
家ではずーっと部屋へと出られなかったモナさん。
ごめんなさいね、美術品で目を肥やしてきたのですよ。
いつもアタシがいるから目は肥えてるでしょ!!とでも言いたげな、おすましポーズです(笑)
柵の向こうを、このシャキーンな状態で見つめていたら要注意です!
「あっちへ脱走したいな……☆」の前兆です。
この日もモナカは遊び足りなくて、夜お世話係がなかなか寝かせてもらえなかったことは言うまでもありません。。。やばい、、、ケージに戻ってくれなくなってきた。。。