大好きな祖母が天国へいきました
どうも、ベビラビのお世話係です。
こちら北国、すっかり秋です。
あんなにウンザリしていた暑さだったのに、朝夕は長袖が必要です。
もう毛布も出さないと。
ちゃんと秋……来るんだなぁ。
ということは冬も……やっぱ来るのかぁ。(ため息)
暑さが落ち着くのと同じくして
モナカさんの食がまた貪欲になり。牧草を追加しても追加しても「くれー!」と騒ぎ立て、米蔵さんのおやつの袋の音で勘違いをし「おやつ!くれー!」と騒ぎ立てる始末です。
(まぁ牧草については、モナカさんがお口で豪快に引っこ抜く拍子に、道連れで床に落ちる牧草がそのまま無駄になるのが何とも歯痒いのですが)
元気で何より。
米蔵さんもよく食べてくれるですが……ここにきて自らスプーンを持つのをやめてしまいました。何故だ……。
食欲はあるものの自分で食べるまではしない、というこのジレンマ。食べさせてくれないなら、いいやそれで。というスタイルで大変困るので、今また親が懸命にスプーンでお口に放り込んでおります。
そのうち変わるかな。食器ひととおり新しくした方がいいのかしら?
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先日わたしの祖母が亡くなりました。
祖父は数年前に亡くなりまして↓
monaka-blackrabbit.hatenablog.com
祖父と同じ93歳でした。
糖尿を患っていた祖母は、晩年は施設と病院の行ったり来たりでした。
個人的に孝行できたなぁと思うのは
コメたんを抱っこしてもらうことができたことです。コロナ前に。
今となっては施設も病院も、お見舞いすらNGなので
2年前から会えないままでお別れとなりました。
施設はわたしの実家から歩ける距離にあるので、事前に母が施設にお願いをして、コメたんの散歩に外出した時に時間がきたら窓際へ祖母を連れてきてもらって遠くから手をふる……ということをしました。
唯一叔父が病院へ物を運べる人だったので、定期的に曾孫の写真を届けてくれました。
危篤と連絡が入ったとき
『代表して2名まで病院入ってよし』と病院から許可が出たので
私の母と叔父は、すぐに駆けつけていきました。
しかし実際は
感染予防が徹底している病院なので
祖母を看取ることはかなわず
看護師さんに身体をきれいにしてもらってからの霊安室……でもなく
祖母の家に業者さんの車で運ばれて
その家の中でやっと対面できたのだそうです。
危篤と聞いて駆けつけたのに
実際病院へ母と叔父が着いたときには、だいぶ前に息を引き取っていたのだそうです。
これ、辛いなぁ……と母から聞いて涙がこぼれてしまいました。
母はもうずっと前から覚悟していたと言っていてケロッとしたいつもの調子で電話で話してくれましたが
自分の母親なのに、と思うと私は我慢できませんでした。
なんなの?このコロナウイルスって。
どれだけ人間を苦しませるつもり?
今までどこか他人事のような距離があったこの厄介なウイルスが、やっと憎悪の対象として私のすぐ近くに感じられるようになりました。
お通夜は
わたしの両親・叔父夫婦・わたし家族の小さな小さな式となりました。
(緊急事態宣言中なので叔父が親戚中に出席をお断りしました)
祭壇のすぐ後ろが、親族の休める部屋(バス・トイレ付)になっているので、お通夜の一通りが終わるまでは
仕事を抜け出し駆けつけた旦那さんがそこでコメたんの面倒を見てくれて。
お坊さんの読経のあいだ、コメたん得意の「ティティー!」が聞こえてきたり障子を開けようとして旦那さんに止められる音なんかも聞こえてきて、
わたしの意識はずーっと背中に集中してしまっていたので、
おばあちゃん、ごめん。
むしろゆっくりできて、おばあちゃんも良かったのかな、なんて思ったりします。
わたしはもっともっと悲しくて泣くと思っていたけど
やはり四六時中コメたんのお世話があるので、そんなことはなく。
ふとしたときにツツーと涙が溢れてすぐ元通りになる、なんてことを繰り返していました。
そのせいか夜まったく寝付けず、頭痛薬が毎日必要だったりと
色々と支障はでてきましたが、今週になってやっと平常運転に戻りました。
それでもまだ、「ちゃんと悲しめなくてごめん」と思ってしまう時が突然やってきたりと、なんだかわたしの脳内がまだ整理できていません。
いつも愛情いっぱいで接してくれたおばあちゃん。
大好き大好き大好きだよ。長生きしてくれてありがとう。
ちゃんと、それを文字に残しておきたくて今回ここに書きました。
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祖父母は毎日緑茶をたくさん飲んでたんですよ。
(急に話が変わる・笑)
そのおかげか、
ふたりとも最期まで認知症など無縁だったしガンにもならなかった。長生きした。
もちろん極端な考えではありますが、わたしも緑茶をもっと身近な飲み物にしようと今毎日飲んでいます。
小さい頃から、祖父母の家へ遊びに行くと緑茶飲むのが楽しみだったなあ。
あともう一つ。
火葬場が休み明けで、なんとその日75件も火葬があるというので
祖母は朝イチで火葬場へ運ばれたのですが。
なんと、、、
一緒に置いておいた小銭と祖母の足が
あとかたもなく残らなかったというではありませんか!!!
祖父のときの小銭と一緒にして、お守り袋に入れようと思っていたのに……。
※これ書いてて初めて知りました…北海道の習慣なのか!
母とわたしの考えでは、75件も処理しないといけないから
いつもより高温で焼いちゃったと思うんですよね……。
これもコロナのせいなのか!?
おのれコロナウイルス、まじで許さん!!