70年連れ添った祖父母の話
どうも、モナカのお世話係です。
先週、私の祖父が天国へ旅立ちました。
大正生まれなので、文字通り大往生です。老衰です。
90を過ぎた祖母とずーーーっと2人暮らしでしたが、2ヶ月前から自力で食事が摂れなくなり入院をしていました。
祖父はずっと帰りたいと言っていたそうですが、入院してしまうとやはり食事も歩行も困難になるようで……。
それでも亡くなる前の日まではちゃんと会話もできる程意識もはっきりしていたそうです。
就寝中に微笑んだ顔で亡くなったと聞いて、誰もが安堵しました。
母と叔父が毎日代わる代わる祖父の見舞いをしておりましたが、ここ最近は病室へ伺う度に「今日はどうしてたの?」と尋ねると、
「留萌へ行って来たんだー」とか
「旭川まで行っていたんだー」などと
バリバリ働いていた頃の思い出の地に行っていたのだと報告していたそうです。
そして亡くなる前日はついに
「今日はどこへも行っていない」と答えたそうです。
思い出の地めぐりも、終わったんだなぁと叔父は思ったそうです。
そして亡くなったと連絡があってから私の母はすぐ祖母の家へ向かったそうなのですが、
「おじいちゃん、夜中に家に帰ってきたの」
と祖母は私の母に伝えたそうです。
やっと戻りたかった家に戻って来れたんだね、と思いました。
覚悟はしていたとはいえ、やはり寂しいものです。
私にとっては優しくていつもニコニコしていた祖父でしたが、
祖母や母にとってはそれはとても厳しい厳しい「厳格な父」だったそうです。
親族はほとんど、札幌からかなり離れた北の地に住んでいますし、皆高齢のため、かなり御無沙汰だったわけで、おしゃべり好きなおじさんがマイクをもって、参列者の紹介をしていた時に祖母へマイクを向けて
「おじいさんはいい夫でしたか?」と尋ねると
祖母は真顔で首をかしげて「…………」
無言でした(笑)
およそ70年連れ添って、いい夫だったか?と聞かれると答えられない。
そこに、祖母の積年の苦労が伺えるなぁと思ったものの
翌朝、祖父の棺が閉じられる時に
「早く迎えに来てね!」とさいごに祖母が大きな声で話しかけた時は
長い長いこの夫婦の歴史に、涙が止まりませんでした。
祖母がいてくれる限り、私ももっと出来るだけ会いに行かないといけないなぁと改めて思いました。
また私には記憶がないくらい幼少時に会ったことのある親族たちでしたが、私を見つけるな否や
「○○ちゃん!!こんなに大きくなって!!」
と大変感激してくれたのは有難かったのですが、大きくなるどころかもう中年で、なんか……すみません(笑)
そしてことごとく、聞かされる私が小さい頃のエピソードが
やれ
「まだこんなに小っこいのに、大人と同じどんぶりのラーメンを平らげたもんねー!」
やれ
「(私の母が)この子には卵かけご飯さえ与えてれば大人しいから!と言われていて本当にあげたらずっと食べてたわー」
とか
飯関係しかエピソードがありませんでした(笑)
私って…………_| ̄|○
おじいちゃん、長い間おつかれさまでした。
天国でゆっくり好きなことをして寛いでください。
そして
おばあちゃんのことを見守っていてくださいね。
どうもありがとう。孫より。
≪追記:1年前の祖父母の記事≫
monaka-blackrabbit.hatenablog.com